東京地方裁判所八王子支部 昭和48年(ワ)602号 判決 1976年8月30日
原告
鈴木チヨ
被告
岩崎菊次
ほか一名
主文
被告らは各自原告に対し金六四万一四六六円およびうち金五七万一四六六円に対する昭和四八年七月二八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
原告の被告らに対するその余の請求を棄却する。
訴訟費用はこれを三分し、その二を原告の負担とし、その余を被告らの負担とする。
この判決は、第一項に限り、かりに執行できる。
事実
原告訴訟代理人は、「被告らは各自原告に対し二一四万八〇七一円およびうち一九四万八〇七一円に対する昭和四八年七月二八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決ならびに第一項につき仮執行の宣言を求め、その請求原因として
一 事故の発生
昭和四六年六月一一日午前八時四五分ころ、東京都昭島市昭和町四丁目一一番二三号先の交差点で、青梅市方向に向つて直進していた原告運転の自転車の前輪と、その右後方から進行して来て右自転車の前方を左折しようとした被告悦子運転の普通乗用自動車(多摩五る二四七一号)の左後車輪付近とが衝突し、原告が路上に転倒して傷害を負つた。
二 責任原因
被告らは、それぞれ次の理由により、本件事故によつて生じた原告の損害を賠償する責任がある。
(一) 被告菊次は、被告車を保有し、自己のために運行の用に供していたのであるから、自賠法三条の責任。
(二) 被告悦子は、本件事故の発生につき前方注視義務を怠つた過失があつたから、民法七〇九条の責任。
三 損害
原告は、本件事故により、腰部、仙骨部、右股関節部打撲傷、頸部捻挫、バレーリユー症候群の傷害を負い、その治療のため野村病院に昭和四六年八月一七日から同年一一月五日まで八一日間入院し、同年六月一一日から同年八月一六日までの間と同年一一月六日から昭和四七年七月一七日までの間に八五回通院したが完治せず、気候の変り目などに目まい、はき気、倦怠感がとれず、軽易な作業以外は全くできない状況にある。
原告に生じた損害の具体的数額は次のとおりである。
(一) 治療関係費 七四万四七二〇円
1 治療費 五九万八九二〇円
2 付添看護費 一二万一五〇〇円
前記入院中、親族の付添看護を受け、一日一五〇〇円の割合による八一日分一二万一五〇〇円の損害を受けた。
3 入院雑費 二万四三〇〇円
原告は、前記入院中、一日三〇〇円の割合による八一日分二万四三〇〇円の雑費を出捐し、同額の損害を受けた。
(二) 逸失利益 一一三万三四六一円
原告は、事故当時四六歳の健康な女子で、昭和飛行機工業株式会社に勤務するかたわら家事労働に従事していたが、前記傷害および後遺症により昭和四六年六月一一日から同年一一月五日までの約五か月間は全く労務に従事することができず(同年一〇月三一日欠勤により右会社を解雇された。)同年一一月六日から昭和四七年七月十七日までの約八か月間は五〇パーセント、翌一八日から三年間は三五パーセントの労働能力を喪失した。
そこで、労働大臣官房統計情報部編「労働統計年報(昭和四六年)」賃金構造基本統計調査六七表記載の四〇歳から四九歳までの女子労働者平均賃金(月間現金給与額四万三九〇〇円、年間特別給与額一二万〇二〇〇円)に基づいて、原告の逸失利益を算出すると、次のとおり合計一一三万三四六一円となる。
(1) 46.6.11~46.11.5
43,900円×5+120,200円×5/12=269,500円
(2) 46.11.6~47.7.17
(43,900×8+120,200円×8/12)×0.5=21万5850円
(3) 47.7.18~50.7.17
(43,900×12+120,200円)×0.35×(1+1.8594)≒64万8111円(ただし、1.8594は訴提起後2年間のライプニツツ係数)
(三) 慰藉料 六八万五〇〇〇円
(四) 損害の填補 六一万五一一〇円
被告らは治療費のうち五万七八二〇円を野村病院に支払い、強制保険金五〇万円が同病院に支払われ、かつ、原告は被告から休業損害のうち五万七二九〇円を受領したので、以上の合計六一万五一一〇円を損害額から控除する。
(五) 弁護士費用 二〇万円
原告は、本件原告訴訟代理人に本訴の提起追行を委任し、弁護士費用として第一審判決言渡の日に二〇万円を支払う約束をした。
四 結論
以上の理由により、原告は被告ら各自に対し二一四万八〇七一円およびうち弁護士費用を除く一九四万八〇七一円に対する訴状送達の日の翌日である昭和四八年七月二八日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
と述べ、被告ら主張の抗弁に対する答弁として
原告は、本件交差点に差しかかつた際、信号が青色表示に変つたので、そのまま直進して交差点に入つた。ところが、後方から突然警音が聞えたので、右後方を振返ろうとした途端に、被告車が減速することなく原告自転車の直前を左折した。原告は驚いてブレーキをかけると同時に自転車を降りようとしたが、その前に前輪を被告車の左後車輪付近に接触され、自転車に塔乗したまま路上に転倒した。
以上のとおりであつて、原告は接触の瞬間まで被告車を見ておらず、本件事故は被告悦子の一方的過失によつて発生したものであつて、原告には過失はない。
と述べ、証拠として〔証拠関係略〕と述べた。
被告ら訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、請求原因に対する答弁として
第一項は否認する。被告悦子は、後記のとおり本件交差点を左折しようとしたところ、左サイドミラーで原告の自転車を認め、急停車したものであつて、その時原告も停止して自転車を降りており、原告主張のような接触転倒の事実はない。
第二項のうち、被告菊次が被告車の運行供用者であることは認めるが、被告悦子の過失は否認する。
第三項のうち、(四)は認めるが、その余は争う。
原告主張の頸部捻挫によるバレーリユー症候群は本件事故と因果関係がない。原告は、右傷害と同じ症状(目まい、はき気、倦怠感等)で昭和四三年一月から昭和四九年一月まで昭島市昭和町三―二三―四所在の高橋内科医院に通院(本件事故の前日である昭和四六年六月一〇日、同月二五日、それから野村病院に入院中の同年九月一一日にも通院)し、高橋昭三医師により自律神経失調症、偏頭痛、更年期障碍と診断されている。このように原告にはバレーリユー症候群と同様の持病があつたのであるから、これに起因する損害について被告らはこれを賠償する責任がない。
また、逸失利益の算定にあたり、原告はその収入を統計上平均賃金に基づいて主張するが、原告の事故前三か月間の給与は一か月平均一万八〇〇〇円であり、事故前一か年間の特別給与は合計二万六四〇〇円であるから、右収入に基づいて逸失利益を算定すべきである。
と述べ、抗弁として
かりに被告らに賠償責任があるとしても、被告悦子は、警音器を鳴らしながら本件交差点を左折しようとしたところ、原告が被告車と歩道(車道より高くなつている)との間に進入して来たものであつて、本件事故は原告の過失によつて発生したものであるから、被告らは、損害賠償額の算定につき過失相殺を主張する、と述べ、証拠として〔証拠関係略〕と述べた。
理由
一 事故の発生
成立に争いない乙第三号証、原告本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第七ないし第九号証、証人原田竹次、同伊藤平の各証言、原告本人尋問の結果および被告悦子本人尋問の結果(ただし、後記採用しない部分を除く。)によると、請求原因第一項記載の事実が認められ、右認定に反する被告悦子本人尋問の結果は採用しない。
二 責任原因
(一) 被告菊次が被告車を自己のために運行の用に供していたことは、原告と同被告との間で争いがない。
(二) 乙第三号証を除く前掲各証拠によると、前記交差点は、歩車道の区別がある幅員七・五メートルのA道路と幅員五・七メートルの道路とが直角に交わる交差点であり、当時信号機による交通整理が行なわれていたこと、原告は、自転車に乗つてA道路の左端を進行し、右交差点に差しかかつたが、信号の表示が青色であつたので、そのまま直進したこと、そして、交差点の手前で右後方から進行して来た被告車に追抜かれ、その時被告車が警音器を鳴らしているのには気付いたが、これが右交差点で左折するとは思わず、そのまま進行して交差点に進入したところ、先行した被告車が急に左折を開始したため、これに進路をさえぎられ、急停止しようとしたが間に合わなかつたこと、一方、被告悦子は、被告車を運転してA道路を進行し、原告の自転車より先に右交差点に差しかかつたが、その際信号の表示が赤色であつたので、方向指示器によつて左折の合図をしながら、先行車のあとに続いて交差点の約二〇メートル手前で一時停車したこと、そして、青色信号に従つて発進し、交差点の手前で警音器を鳴らしながら原告の自転車を追抜いたが、その際原告の動静に十分注意を払わず、時速約一〇キロメートルで交差点に進入するとともに左折を開始したところ、その直後に原告の自転車が右後方に迫つているのに気付き、急停車したが、右発見が遅かつたため事故の発生を避けることはできなかつたことが認められる。
以上の事実によると、被告悦子は、原告自転車の直前で左折を開始し、その進路を妨害したものであつて、原告の動静に対する注意が足りなかつたことは明らかであり、本件事故の発生につき過失があつたことが認められる。
以上の理由により、被告菊次は自賠法三条により、被告悦子は民法七〇九条により、それぞれ本件事故によつて生じた原告の損害を賠償する責任がある。
三 損害
前掲乙第三号証、原告本人尋問の結果およびこれにより真正に成立したものと認められる甲第一、第二号証によると、原告は、事故当日である昭和四六年六月一一日、昭島市内の野村病院で診察を受け、前記事故により全治二週間を要する腰部、仙骨部、右股関節打僕傷の傷害を受けたものと診断されたが、その後、側頸部に疼痛を覚え、頸部の運動制限のほか耳鳴り、吐気、頭痛、倦怠感等の症状を訴えたため、頸部捻挫、バレーリユー症候群との診断のもとに同病院で引続き治療を受けることになり、そのため同年八月一七日から一一月五日まで入院したほか、昭和四七年七月一七日までの間に合計八五回同病院に通院したことが認められる。
ところで、被告らは、原告の傷害のうち頸部捻挫、バレーリユー症候群の因果関係を争うので、検討するに、成立に争いない乙第二号証(カルテ)および原告本人尋問の結果によると、原告は、被告ら主張の高橋内科医院において、昭和四三年一月六日腹痛の訴えに対し「急性胃腸炎、自律神経失調症」の診断を、昭和四四年九月二六日寒気、めまい、全身倦怠の訴えに対し「更年期障碍」の診断を、昭和四五年三月四日左側の片頭痛の訴えに対し、「片頭痛」の診断を、同年五月一〇日めまいがするとして「自律神経失調症」の診断をそれぞれ受け、その都度相当期間内服薬による通院治療を受けているほか、事故前日の昭和四六年六月一〇日にも肩がこり、胃の調子が悪いとして診察を受け、一四日分の内服薬の支給を受けていることが認められる。
しかしながら、理由一掲記の各証拠によると、原告は、事故の際、左の歩道側に倒れながら右の腰付近を路上で強く打つていることが認められ、このように頸部に負担のかかる不自然な倒れ方をしたことや、右カルテを精査するも、原告がかつて高橋内科医院で頸部の異常を訴えた記録がない事実、その他事故前後の治療状況を比較して考えると、原告の事故前の健康状態が右のとおりであり、頭痛感、全身倦怠等の症状が事故後のそれに類似しているからといつて、その原因を同一のものと考えるのは早計であつて、原告は、本件事故によつて頸部捻挫の傷害を負い、前記症状は右傷害によるものと認めるのが相当である。
そこで、進んで損害の数額について判断する。
(一) 治療費 五九万八九二〇円
前掲甲第二号証によると、原告は前記野村病院の治療費として五九万八九二〇円を出捐し、同額の損害を受けたことが認められる。
(二) 付添看護費
入院中の原告の症状が付添看護を要するほど重症であつたことを認めるに足りる証拠はないので、右損害は認められない。
(三) 入院雑費 二万四三〇〇円
原告が八一日間の前記入院中一日三〇〇円の割合による合計二万四三〇〇円を下らない入院雑費を支出したことは経験則に照して首肯できる。
(四) 逸失利益 三六万円
成立に争いない乙第九、第一〇号証および原告本人尋問の結果によると、原告は、事故当時、主婦として家事労働に従事するかたわら、昭和四五年四月から昭和飛行機工業株式会社にパートとして勤務し、時間給一七二円の収入(ただし、事故前三か月間の総支給金額は合計五万三八三〇円)を得ていたことが認められ、これによると、原告は、家事労働を金銭的に評価した分を含めて、月四万円を下らない労働能力を有していたものと認めるのが相当である。
そして、前記傷害のため原告が労働に従事できなかつた期間および割合は、傷害の部位程度および治療状況等の諸事情に鑑み、事故後五か月間が一〇〇パーセント、その後八か月間が平均して五〇パーセントと認めるのが相当である。
そこで、右事実に基づいて原告の逸失利益を算定すると三六万円となる。
なお、原告は後遺症による逸失利益を主張するが、労働能力に影響があるほど重大な後遺症が原告に残つたことを認めるに足りる証拠はない。
(五) 過失相殺
前記二の(二)で認定した事実によると、原告は、本件交差点の手前で被告車が警音器を鳴らしながら原告の自転車を追抜いた際、被告車の動静に多少とも注意を払つておれば、自車の進路上で被告車が左折することを事前に察知し、安全に停止して被告車に進路を譲ることによつて事故の発生を未然に防止することができたものと認められ、本件事故の発生については原告にも過失があつたといえるから、損害賠償額の算定につき右過失を斟酌すべきところ、その程度は、本件事故の態様その他の諸事情に鑑み、二〇パーセントをもつて相当と認める。
その結果、以上の損害額合計九八万三二二〇円のうち被告らにおいて賠償すべき額は七八万六五七六円となる。
(六) 慰藉料 四〇万円
原告が前記傷害を受けたことによる精神的苦痛を慰藉すべき額は、諸般の事情に鑑み、四〇万円をもつて相当と認める。
(七) 損害の填補
請求原因第三項の(四)は当事者間に争いがないので、以上の損害額合計一一八万六五七六円から六一万五一一〇円を控除すると、残額は五七万一四六六円となる。
(八) 弁護士費用 七万円
原告が本訴の提起追行を本件原告訴訟代理人に委任したことは記録上明らかであり、これに要する弁護士費用のうち被告らにおいて賠償すべき額は、本件訴訟の経過その他の諸事情に鑑み、七万円をもつて相当と認める。
四 結論
以上の理由により、被告らは各自原告に対し六四万一四六六円およびうち弁護士費用を除く五七万一四六六円に対する訴状送達の日の翌日である昭和四八年七月二八日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があり、原告の請求は右の限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却することとする。
よつて、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 小長光馨一)